身の丈にあった受験のリアル、貧しい家の子の一例として




萩生田大臣の身の丈発言には色々と思うことがある。
私も実家にお金がなく、進学に関して悩んできた過去があるから、どうしても教育格差というものに過去の自分を重ねて見てしまう。

元々はお金のある家だった。
5歳くらいまでは、かなりお嬢さんな生活をしていたように記憶している。

ただバブルで父親が事業に失敗し、ごたごたして結局両親は離婚した。
1990年代半ば、専業主婦からシングルマザーとなった女性の人生は今以上に厳しい。
母親も都心の社長の妻としてやってきた自分が、働かなきゃいけないことを受け入れられないようで、月8万のパート代が我が家の収入の全てだった。

幸い母の実家は都内にあった。
昭和5年築の物凄く古くて、でも広い家。年金暮らしの祖母、母、妹と一緒に、私はそこで育った。

公立中学に入って、皆と同じく無邪気に部活を始めた。
でも、部活をやるといろいろと必要なものがあるのだ。
ユニフォームに、試合の時の交通費。
中学生にもなれば、家が貧乏なことを重々承知しているから、それを親に毎回お願いするのはとてつもなく心苦しかった。
でも、中学生というのは働くことも出来ない。とても無力な時代だった。

同級生が受験を見据えて塾に行きだした時、私も塾に行きたいと思って体験まで行った。
しかし、いざ申し込む段階になると、月謝や各講習の費用、今後妹にかかる学費のことも気になってしまい、「このレベルなら家でも出来る!本と模試のお金だけお願い!」と本当はあまり大丈夫じゃなかったのに、強がってしまう自分がいた。

当然、高校受験の志望校は都立高校だった。都立一本しか受けないつもりで、落ちたら中卒だと考えていたが(中学生の思考回路はこんなもん)、学校の先生の勧めで、レベル高めの女子校ともう一つ滑り止めの学校を受けた。
都立も私立も受かったけれど、迷うことなく都立に進学した。

不良が強い権力を持っていた公立中学から一変して、それなりの選抜を経た人で構成された都立高校は治安が良くて、自由で、それはそれはいいところだった。
クラスの1/4くらいは親が離婚していたので、それを引け目に感じることもなく過ごせたし、真面目な良い子が多くてとにかく居心地が良くて楽しかった。
お金がかかるから部活はしなかったけれど、マクドナルドで時給750円のバイトを週2回して、学校までの通学定期とN504iの携帯を買った。
親にお金をお願いするのはストレスの大きいことの一つだったので、親に頼らなくてもどうにか出来るようになったんだ、という解放感は忘れられない。

高校2年で進路を考えた時、最初は理系に行きたいと思った。
けれども、私大理系の学費を見たときに「これじゃ自分で払えないじゃん」と躊躇してしまった。
しかも理系は忙しくてバイトも出来ないと聞く。
国立に受かれば良いけれど、そもそも母は大学受験の受験料3万円×n学部分が出せるのかという時点で大きな躓きがあった。



その中でふと閃いたのが、指定校推薦を利用するという方法だった。
指定校推薦なら1校受験すれば済むし、学校の試験さえいい点数取っていればOKだから予備校に通う必要もない。
私大文系の学費なら奨学金とバイトでどうにか出来る。これだ!と。
大人になった今振り返るとバカバカしすぎるけれど、当時の私はそんなかなりしょうもない動機で、でも真剣に進学先を決めたのだ。
まぁこんな小賢しい方法で入学した私と、周りの実力で入学してきた層との学力差はお察しである。

貧乏な家の子供は、年齢に対して必要以上に大人びて、親に遠慮して生きてきているのだ。
私は実家が都内にあり大学へのアクセスが容易だったこと、周りが100%大学進学するような高校であったこと、祖母も母も大卒で大学まで進学するのが普通だと思っていたことが幸いして、貧乏でありながらも大学に進むことが出来た。
けれども、本当は理系に行きたかったなぁ、行けそうな道ではなく行きたい道を進めば良かったという思いは今も自分の中で燻っている。

塾に通えなくても勉強する方法はいくらでもあるし、学校に入ってしまえば減免措置や奨学金もある。
一度中に入れば、どうにかするための方法はちゃんとあるのだ。
でも(受験するための交通費も含めた)受験料というのは、確実にかかる避けられないお金で、ひどく貧しい層にとってはそこが進学の挫折ポイントにもなりうるのである。

真面目な子であればあるほど親に遠慮して、「身の丈にあった」を自ら志向する傾向にあるのではないか。
教育の機会は均等であるべきで、現実にはそれが難しかろうとも、国主導で入試の機会すら奪うようなことはあってはいけない。
子供は親が思う以上に、いろんな思いを抱えて生きているのだ。

私は東京都の受験生チャレンジ支援貸付事業を応援しています。

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